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去年から2年役で町内会長をやっていて、やっと今期で終わります。

会長をやって、人付き合いが苦手な私でも、顔と名前が一致するご近所さんが増え来たのですがそれでも、自宅から半径100mぐらいの広さだけで、知らない人はたくさんいます。

「まだまだ、世界が狭いなぁ」と思います。

で、家にいる嫁は当然といえば当然なんですが、私より顔が広く、人付き合いがうまい事もあっていろんな人と知り合いです。

それに伴い、嫁と行動を共にする子供も私よりも顔が広く、休みの日に私と子どもだけで出かけても、必ず、誰かに声をかけられます。

そのたび「今の誰?」っと子どもに尋ねてるんですが。。。

こないだ、近所を娘を連れて歩いていると、小ジャレたマウンテンバイクに乗った、ニューヨーカーっぽい小ジャレだ白人に挨拶されていました。

「なにつながりやねん」っと思わず突っ込みを入れたのですが

それぐらい、私より子どもの方が地域に密着しています。

きっと内の子達は近所では「悪さ」出来ないと思います。

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久々のブログ更新

ちょっと前に、自動販売機の前で
『コーヒー』を買うか『ミルクティー』を買うか迷いに迷って
コーヒーにする事にした。

コーヒーのボタンを押すと。。。

『えっ?』

迷いに迷って、やっと選択したコーヒー
いざ、購入しようと『コーヒーのボタン』を
押したのに。。。

なんと『ミルクティー』が出てきた。。。

『私の人生そんなもん・・・』

っと、心の中で深いため息。。。

『ん?』

なんか思った。。。

もしかすると、自分で『選択した』っと思って
選択した結果は、
実はもうすでに決まっているのでは無いだろうか。。。

幾ら自分で選んで努力しても、もうすでに結果は決まっていて
その結果に納得する為に努力するのでは無いだろうか。。。

っと言う妄想が湧き上がった。

コーヒーを買ったのにミルクティーが出てきた事に
ついても、購入すする前に、コーヒーかミルクティー
かに迷っていて、なぜ『迷う』かと言うと
どっちも飲みたかったからである。

結果、コーヒーに決め、ミルクティーが出てきたとしても
ミルクティーも飲みたかったわけだから、結構すんなり
あきらめが付く。

よくよく考えて見れば、きっと
コーヒーかミルクティーかに迷った時点で
私がミルクティーを飲む事が決まっていたのでは
無いだろうか。

きっと、この世界で自分で決断できる事なんて
すごく限られていて、コーヒーを飲むか
ミルクティーを飲むかですら、自分の意思では
決められないのではないだろうか。

ものすごく話はぶっ飛ぶが、考えて見れば
この世界に生まれたこと事態、きっと
私が選択したわけでは無いと思う。

だって、選択した覚えがないもん。

この世界は、物凄い数の人がいて、生き物がいて
物があって、空気もあり、水も火も時間もある。

それが絶妙に絡み合って紙一重のバランスで保っていて。。。

ちっぽけな人一人が、『こうしたい』と思っても
そうなる物ではないのだ。

もし、あの時、迷いに迷って
コーヒーを選んで、コーヒーが出てきたとしても
それは、もっと以前に、私が行った行動やら
行為やら、それにかかわった人たちの行動やら
もしかしたら人が動いた空気の動きの加減やらで
絶妙なバランスで連鎖して、それを繰り返して
自動販売機の業者さんがコーヒーの列にミルクティーを
入れ間違える事なくコーヒーを補充しただけで、
きっと、自動販売機の前で悩みに悩んで選択していた時の
私の力ではないのだ。

っと、長々と書いたが、これがいわゆる

『日ごろの行い』

ってやつなのだろう。

良くも悪くも『日ごろの行い』で
でその時の結果が出ていて、決して
決断を下した時の結果ではないのだろう。。。

『日ごろの行い』

清く生きよう(爆)




朝礼時のスピーチのためにネタを考えていたのだが
長くなったので、朝礼では前半部分しか話せなかった。

せっかくのネタなので、ここで発表(笑)

最近、歳を取って知恵がついて来たせいか
いろんな見方?ができる様になってきた。

それは「ことわざ」とか「慣用句」に良くあって
「こう言う意味だと思ってたのに、実はこう言う意味なのではないかっ」っと、よく思う。

例えば
「2度ある事は3度ある」

今までは「2回起こった事は、3回起こるよ」って意味ぐらいにしか
とらえていなかったが、この言葉の本質?に気づいた。。。
ってか、本質かどうかはわからないが、違う意味を見つけた。

「2度ある事は3度ある」っと言う、本当の意味は

1回目はたまたま起こる事もあるが、それが2回続くと、
それが起こる原因が必ず存在して、何か対策をしないと
3回、4回っと起こる。

って事なのではないだろうかっ

もっと言うと

2回起こった事を、もう一回繰り返したくなかったら
原因を追究して、起こらないようにしろっ!

って言う事なのだろう。

この「2度ある事は3度ある」っと言う言葉は
物の通りや、マーフィーの法則的な意味ではなく。
警告や対策っと言った意味だったのだ。

そう考えるともうひとつの慣用句
「三度目の正直」っと言う言葉の意味もちょっと変わってくる

「三度目の正直」と言う言葉を
今までは
「1回目、2回目は失敗したが、今度こそ良い結果がですぞ」
っと、ちょっと賭け見たいなニアンスで使っていたが

実は

1回目、2回目とかにかかわらず
「原因を追究し確実にうまくいく状態」の事を
「三度目の正直」と言うのではないだろうか。。。
(あくまで妄想です)

もっと言えば
「原因を追究し、確実に成功できる状態を作り上げる」事こそが
「三度目の正直」なのではないだろうか。。。
(十中八九妄想です。)

っと、考えると
「仏の顔も三度まで」って言う言葉の意味がわかってくる
なぜ、3回は許されるのか。。。

きっと、こう言う事なのだろう。

「1回目はたまたま起こった事かもしれないので、そこで怒ってはいけない」
「2回目に初めて、この事柄には原因がある事がわかったので、怒るところではない」
「3回目を行うまでに原因を追究して確実に成功する状態で挑んで失敗したので、
その努力は認めよう」
「4回目の失敗は確実に失敗なので、怒るところ」
って事では無いだろうか。
(確実に妄想です。)

結局、「仏の顔も三度まで」っと言う言葉の意味は
「3回は許す」って意味ではなく
「本当の失敗は3回目以降なので、一回は許そう。でも次は許さないよっ!」
っていう、鬼の警告なのではないだろうか。。。
(鬼の様な妄想です。) 

私の好きな色は「黒」と「白」です。
葬式を連想しますが、この二色が大好きです。

黒は「全ての色を自分の色に変えてしまう」
断固たる信念を感じるので好き。

白は「全ての色、黒でさえも自分に取り入れ、新しい色にしてしまう」
柔軟性と調和を感じるので好き。

「黒」と「白」は相反する色ですが、共通するのは
「決して自分の色を見失わない」ってとこ

だからこの二色が好きなのです。

私個人の意見ですが、人間「黒」と「白」の特質が大事なような
気がします。

柔軟に物事を受け入れ、調和を保ちながら
自分の信念はしっかりと持ち、貫く。

矛盾しているようですが、矛盾した世界に生きているのだから
生き方も矛盾するのではないでしょうか。

その矛盾を貫けば、矛盾ではなくなるのではないでしょうか。。。

っと言うより、きっとこの世界には矛盾なんてなくて
「矛盾に思える事は」実は「矛盾」では無くて
理解できないから「矛盾」と言う言葉で片付けているだけなのでは
ないのか。。。

どうしても「矛盾」する事も、もっと突き詰めえれば
矛盾しない答えがきっとあるはず。

ってか、これ何の話だ??


家族とは恋から始まるが恋では
家族は作れない。

あかの他人同士なのだから、幻想だけでは
現実を受け入れない。

やっぱ愛が必要。

でも、愛だけでも家族は作れない。

そこにはもっと深い「情」が必要。

でも、情だけでもだめ、愛とのバランスが重要で
「愛情」が無ければ駄目。

家族でも、元はあかの他人。
子供も、血はつながっているが、自分とは違う
「自我」があるので、実は子供も他人のようなもの

家族になるのはお互いに「愛情」を伝える努力は
もちろん必要。
それが「愛」

でも、何度も言うがそれだけでは駄目。

家族の愛を受け入れる「情」も必要。

「愛情」があってこその家族なのだ。

血のつながりに甘えてはいけない。
家族には血のつながりは関係ないのだから。。。

基本、仕事に行くときを除いて、大雨以外は傘は持ちません(爆)

濡れるのはイヤだけど、「傘を持つ」のがそれ以上にいやなのです。

傘に限らず「カバン」も持ちません。

買い物する時でさえ、友達に自分の買い物した物を持たせます(爆)

なんか「物を持つ」と手の自由が奪われる気がして。。。。
「もっている物に束縛されている」感が非常にいやなのです。

かと言って、「自由人」ではありません。

「自由」は好きなのですが、ほんとの自由は責任が伴い
余計に束縛される。。。

「自由」とは、人を最も強く束縛する物だと思う。

私にとっての「自由」とは「自分にとって都合のいい事」なのです。

ふと、思い出したので時期はずれですが
クリスマスイブの思い出を。。。

当時、私は小学2年生。
私の両親は共働きで、年間を通して開催されるイベントは正月と誕生日ぐらいのもで、誕生日ですらプレゼントに現金3千円とケーキを渡され、翌日に帰りが遅い両親をまちながら一人ケーキを食べる。

そんな状態ですから、クリスマスなんて平日となんら変わりない日でした。
私にとっては、それが当り前で、特にクリスマスを意識した事はありませんでした。

今日は24日、次の日から冬休みに入るので、学校は終業式のみで午前中に終わります。

早く学校が終わって、次の日から冬休み、私のテンションは高く、目をランランと輝かせながら、一人で昼食を取り、とてもジッとして居れる状態ではないので、友達の家に遊びに行くことにしました。

「そうだ、今日はあんまり遊んでいないコウタの家に行ってみよう!」

私は小走りにコウタくんの家に向かいました。

「コウタくん、あそぼ!」

しばらくして、玄関の扉が開きコウタが現れました。

「ごめん、今日はタケシとエイジとカナコ達と、クリスマスパーティーをするからあそばれへん」

・・・クリスマスパーティーなんかするんだぁ、しゃれてるなぁ。

やもなく、コウタと遊ぶのをあきらめ、過去に3,4回遊んだ事のある、違うクラスのケンタの家に遊びに行く事にしました。

「ケンタくん、あそぼ!」

しばらくすると玄関の扉が開き、ケンタのお母さんが出てきました。

「ごめんなさい、ケンタはリョウタくんのクリスマスパーティーに呼ばれて
いないのよ」

・・・

ややテンションが下がった私でしたが、明日からの冬休みの威力は強大で、すぐにテンションは元にもどり、今度は一番仲良しのシンジの家に行く事にしました。
学校でもクリスマスパーティーの話題が出なかったので、彼はパーティーに参加、ましてや主催などしていないと考えたからです。

シンジの家は酒屋さんの角を曲った所にあり、足早に酒屋さんの前まで歩いていくと、にぎやかな子供達の声がしてきました。
そっと、酒屋さんの角を曲がってジンジの家の方を見てみると、ジンジの家の玄関前に様々な色の包装紙に赤と緑色のリボンを巻いた、あからさまにクリスマスプレゼントを抱えたクラスメートが数人、今まさにインターホンを押そうとしている瞬間でした。

インターホンが鳴った瞬間、「まってました!」かのように、玄関からシンジが楽しそうな顔で現れ、数人のクラスメートを招き入れています。

・・・帰ろう・・・

帰り道、白い天使が私の肩に舞い降りました。

「雪だ・・・」

私は、「ジングルベル」を歌いながら帰りました。

帰宅後、「DX野球版」が欲しかった私は、野球版が入るぐらいの大きい紙袋を赤く塗り、靴下の形にして枕元におき、ちょっと早めに就寝しました。

朝目が覚めると、昨日、夜遅く帰宅しただろう酒臭いいびきをかいている父が、私の作った靴下形の紙袋をかぶり、そっと置いてありました・・・

「あぁ、やっぱりサンタクロースはいないんだ・・・」と、私は悟りました。


GWの予定を考える
 

休みのうちにしないと行けない事やお出かけのプラン等、
しっかりスケジュールをたて、無駄のないように計画する。
 

それでふと思った。
 

これ仕事やん!


しないといけない事 = タスク業務
お出かけのプラン等 = 自分がしたい仕事
 

と、置き換えるとお金がもらえる、もらえないの違いだけで
仕事と変わらない気がしてきた。


しかもスケジュールを組み立てるとなおさら仕事っぽくなる



きっと、この計画でGWを進行すると、本当に『休み』と感じられるのは
GW最後の夜の寝る前に『あ~いい連休だった』っと思うときと
タイトなスケジュールの間に辛うじてできた『空きの時間』
だけのような気がする。。。
 

これはきっと『正しい休日の過ごし方』ではないような気がする。。。
 

っというか、絶対違うような気がする!!

ってか、『正しい休日の過ごし方』とはなんぞや。。。
 

と言うわけで『正しい休日の過ごし方』を考える。
 

生きている限り『しないといけない事』は確実に存在する
例えば、掃除、洗濯、学生ならば勉強や宿題。
特に一人暮らしをしていると平日にはできない家事を
休みのうちにこなさなければならない。


これで一日つぶれたりするが、それは仕方のない事だし
仮にこれで休日が潰れても『正しくない休日の過ごし方』では
ないと思う。


どっちかと言うと、これも『正しい休日の過ごし方』の
一つだと思うが、あまりにさみしい。。。


やはり正しい休日を過ごすには、平日にできることは
「休みの日にしよう。。。」ではなくて、ちょくちょく
やっておかなければならない。
 

休日に休むために日々の努力が必要なのだ!
 

では、それ以外の『正しい休日の過ごし方』は。。。
 

ショッピング、ピクニック、ハイキング、ゲーム
連休ともなれば旅行もあるだろう。
これぞ本当の休日!
 

しかし、私はここで失敗したのだ。
冒頭でも述べたが、はりきって
「あれも」「これも」っと予定をたてるうちに
張り切りすぎてタイトなスケジューリング。
 

 『きっと、この計画でGWを進行すると、本当に『休み』と感じられるのは
 GW最後の夜の寝る前に『あ~いい連休だった』っと思うときと
 タイトなスケジュールの間に辛うじてできた『空きの時間』
 だけのような気がする。。。』


しかし、『したい事』をしているのになぜ『空き時間』しか『休日』を
味わえないのだろう。。。
 

きっとっと言うか。絶対、時間が問題なのだ。
 

休日には『したい事をする』だけではダメなのだ!
休日には『したい事』を『したい時』にしないといけないのだ。
 

スケジュールを組んでしまうと、どうしても次の予定を気にしながら
『したい事』をしなければならない、だからスケジュールはなしで
行き当たりばったりで休日を過ごすのだ!
 

。。。。しかし

 

過去にそんな事をして、『あぁ、無駄に終わった。。。』
って事が、幾度となくあったような。。。。
 

いかんいかん、無計画は『正しい休日の過ごし方』ではないっ!
 

では、どうやったら。。。
 

『したい事』をするにも、ある程度のスケジュールは必要だ。
しかし、タイトなスケジュールだと『空き時間』しか『休日』を
味わえない。。。
 

ん?『空き時間』しか『休日』を味わえない。
 

って事は、空き時間を多くスケジュールに入れればいいのかっ!
 

そうか、そういうことなのか!

確かに、『したい事』が充実すればするほど
その後の『空いた時間』に『至福の喜び』を感じる。
 

例えば、温泉旅行に行って、昼間は忙しく観光をして、宿に帰って
料理を食べ、温泉につかって部屋で寛いでいる時間が
一番幸せを感じる時間だ。


すなわち『休日を楽しんでいる時間』だと思う。
 

きっと、充実した時間の後にしか『充実した休み』は取れないのだ!
 

しかし、せっかくの休日。
わざわざ、充実した時間を作って『休日を楽しんでいる時間』を楽しむのではなく
『休日を楽しんでいる時間』のみを味わいたい。
 

休日を『100%休日を楽しんでいる時間』にしたいっ!!
 

それをするためには、この理屈で行くと。。。
 

(*゜ロ゜)ハッ!!。。。いやな予感が。。。


休日を『100%休日を楽しんでいる時間』するには
平日の『仕事』や『学校』、『しなければならない事』を
がっちりスケジューリングして、パーフェクトにこなし
平日を充実させる事で、『100%休日を楽しんでいる時間』
が始めて訪れると。。。
 

なんと言う事だ!
 

ここでもまた、休むにも努力が必要と言う事か!!


なんとも矛盾を感じさせられるような結論に達してしまった。
 

悲しいかな、きっとこれがこの世の摂理なのだろう。


やっぱ、何かに一生懸命な人は得るものも大きい。。。


この世はほんと、よくできてる。




 

『ちょんまげ』、なぜあんな変な髪形を江戸時代の人は
していたのだろう。。。
 

弥生時代とかはそうじゃなかったのに
同じ日本人なのにどう考えても『ちょんまげ』の
よさがわからん。。。
 

てっぺんを剃ってるので、かなり頻繁に
手入れをしないと維持できないし、どう考えても合理的ではない。。。
 

なぜ、あんな髪型を。。。


おでこからてっぺんまで剃り上げるメリットって
なんだろう。。。
 

う~ん、わからん。。。
 

こう言う時は別の角度から考えてみよう。
 

『ちょんまげ』っと聞いて、まず最初に
思い浮かぶのは『武士』だと思う。
 

武士とは。。。大名、将軍。。。
戦う人って事だろう。
 

戦う。。。刀。。。鎧。。。
 

よろい?
 

よろいっ!!

そうだ、武士はいわば戦闘民族のようなもの
『戦う事』を基本に生きて来たのだ。
戦争も数多くこなし、鎧も頻繁に着ていたはず!
 

当然、兜も。。。


※ここから猫侍の勝手な妄想が始まります。。。


幾度と無く戦に出たとある武将
彼が戦に参加すると、必ず勝利すると言われるほどの
剣術と戦術、そして指揮能力を発揮する、まさに英雄。


当然、殿はそんな彼に絶大な信頼を持ち、戦を行なうたびに
彼を出陣させる。
 

鎧兜を身に着けて、いつ果てる事のない戦に身を投じる。
幾度となく、幾度となく。
 

他の武将の3倍、いや4倍の数の戦に出陣
すべて、勝利を収める。
 

彼は同じ国の武将はもとより、他国
はたまた、敵国の武将にさえ敬意をもたれ
まさに『カリスマ』であった。


しかし、幾度となく繰り返される戦に
身も心もつかれきっていた。。。
 

そう、四六時中『』をかぶっていた『頭皮』も。。。
 

気がつけば、彼の頭は
常に生死の危機にさらされている『ストレス』
常に兜をかぶっていた『蒸れ』
兜をかぶって、走ることで起る『摩擦』で


それはもう綺麗にてっぺんが禿げ上がっていた。


そして、戦、戦、また戦の日々で、髪を切る暇もなく
てっぺん以外は戦の年月が刻まれた長い髪。
その髪を結び上げ、邪魔にならないよう
兜の中に入れ、また戦に出陣する。
 

そう、まさに『ちょんまげ』のように。。。

 

そしてまた、勝利をおさめ、兜を脱ぐ
そして、彼にあこがれる武将たちが目にするのは
そう『ちょんまげ』、カリスマの象徴とも言える『ちょんまげ』
 

勝利を収め馬に跨る彼の姿はまさに『武神』
そして、戦の度に勝利を収め、必ず生きて帰ってくる
彼の生き様の象徴といえる『ちょんまげ』
他の武将はカリスマである彼のヘアースタイルを
こぞってまねをする
 

『勝利の象徴』『生きる象徴』の
あの『ちょんまげ』を。。。


きっと、こうやって『ちょんまげ』は流行ったのではないだろうか。
いや、きっとそうだ!(かなり強引)
 

そう考えると『ちょんまげ』がかっこよく思えてきた(笑)
 

そういえば、日本のサラリーマンもてっぺん禿げ。。。
 

きっと彼らも幾度となく戦に出陣し、勝利を収めて来たのだろう
そして、戦後、何もない焼け野原からここまで発展したのだ!
まさに侍!カリスマサラリーマンなのだ!
 

てっぺん禿げは勝利と栄光の証。


てっぺん禿げこそ『侍』なのだっ!!!!


でも、てっぺん禿げにはなりたくない(爆)


きっと、私は凡人なのだ。。。


 

たまに良く(意味不明)しょうも無い事を考えるのですが、
今日は「男前」って言葉が気になった。
 

かっこいい人、男気のあるひとを「男前」、ちなみに関西では、男前よりも
男前を「おっとこまえ」っと言う、「お」の後ろにつく小さい「っ」が男前で
あればあるほど増えて行きます。
 

なぜ「男前」っと言うのでしょう。。。。
 

そういえば同じ「前」が付く言葉で「板前さん」がいますが、これは料理人の事。
 

きっと「まな板」の「前」にいるから「板前」というのでしょう。
 

この理屈で行くと「男」の「前」にいる人が「男前」。。。
 

ハッ!(`ロ´;)

男の前にいる存在、すなわち「男たちを仕切る存在」!
指導者の事をさす言葉なのかっっ!!!

確かに男達の前にたって、テキパキと仕切っている人を見ると思わず
「おっっとこまえやなぁ」って思う。
 

意外と早く自己解決。 |)゚0゚(| ホェー!!
 

そうかぁ、男の前に立つから「男前」かぁ
 

私もなるべく人の前に立つようにして「男前」を目指そう!!

 

※これは私、猫侍が勝手に考えた事なので、事実とは限りませんのでご了承下さい。

 
 


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